なぜ陶芸家になろうと?
僕の叔父はお茶の家元でね。叔父は僕に茶器を作ってもらったら便利だ、とか思ったんだろうな 修行を勧められて九州で修業しました。
そこで奥さんと出会ったわけ。
ご主人は北海道・奥さまは九州、そんなお二人がどんな縁で熊野にこられたんですか
独立できる家を探していたら知人から三重県の山奥に適当な家があると紹介されたんです。
その頃は三重県はどんなところか、ましてや紀和町がどこにあるのかもわからない状態でしたね(笑)
僕たちがここに移住してきた昭和60年頃の移住者は、ふたつのパターンがあって、色川(和歌山県)→本宮(和歌山県)→紀和町という流れでやってくるのと、僕自身が「田舎に移住した陶芸家」と新聞や雑誌で取り上げられたため、僕を頼ってやってくる、そんなふたつのパターンがありました。
そんな人たちの何組くらいが紀和へ移住を決めたんですか
いまはこうやって市が積極的に移住者の世話をしてくれてるけど、当時の紀和町役場では移住への取り組みはなかったから僕が移住希望者と一緒に地域を歩いて空き家を探したもんです。
1人で頑張ってたら「山村留学」のメンバーの一人が協力してくれたこともありました。
その頃移住を決めた人たちでいまも住んでいるのは5家族くらいかなぁ。
移住してきたときには大歓迎してもらったこと(即答!)。
住まいに、と決めてた家に行くと、家の中もピカピカに磨いてくれてた! 感激しました。
次に驚いたのは長女が生まれた時に100人近い人からご祝儀をいただいたこと。これには本当に驚きました。
奥さんの真知子さん:
ここは町まで1時間近くかかる場所だけど、特に生活に不自由を感じたことはないですし、暮らしに不自由を感じたことはありません。
私は地域の高齢者が診療所やお店へ行くのを手助けさせてもらうこともあります。車に乗せて送迎などをすることもあります。
都会から来る人の中には人間関係を作るのが苦手な人もいる。
暮らし始めても雨戸を閉めきって、近所とも付き合いがなければ、地域から奇異な目でみられてしまい住みづらくなり出ていってしまうこともある。
邦昭さんがお世話した人の中にもいましたか
自然農法をしたいと言って移住してきた夫婦が当初閉鎖的に暮らしていた。
昼間でも雨戸を閉めきっていてね。
そこに自然農法をしている仲間が訪ねてくるのを地域の人たちが見て不安に思っていた。
その旦那さんに「みんな不安がってるよ」と教えてあげたら「謝りたい」と言って隣近所に挨拶に回ってくれて、それがきっかけとなり周囲と交流が生まれるようになった。それで周囲と円満に暮らせるようになった。
それからは両親も田舎で住みたいとのことで家を建てて住んでますよ。
大場さんについて